役行者物語 10(35-38)
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不思議な世界 1

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役行者小角 物語  (えんのぎょうじゃ おづぬ)



 第10章 死刑の執行と中止   BGM is playing now !
 ■ 第35話 死刑執行 1

 文武天皇の時代の大宝元年(701)、小角を死刑にするために、二人の役人が伊豆大島に遣わされた。2月25日、役人たちが、伊豆大島に着いた。

 この時、島の流人たちの間に、ちょっとした騒ぎが起きた。囚人たちは、新しい流人が来たのではなく、ただ二人の役人が来ただけでだったので、「これは、誰かが死刑になる使いだ。」と、気づいた。

 都からやって来た役人たちは、島の番人に向かって、役小角が死刑に決まったと伝えた。
 島の役人はもちろんのこと、島の囚人たちも驚いた。島では、日頃から、役人も囚人も、小角を慕っていたからだった。
 だが、小角は、いつもと変わらない様子で、悠々と沖を眺めていた。


 死刑が行われることになった。囚人たちは皆、小角を哀れみ、同情の眼で、事の成り行きを見つめていた。

 小角は、平気な顔をして、砂の上に敷かれた藁むしろの上に座っていた。小角は、刀をちょっと貸してほしいと、役人に頼んだ。

 役人は、これを無視して斬ることもできず、小角に、そっと刀を渡した。小角は、静かに刀を手にとると、肩、両手、足から腹へと、身体を撫で付けた。小角は、撫で終わると刀を返して、静かに目を閉じた。


 いよいよ、その時がきた。役人は、刀をしっかり握りしめて、さっと振り上げた。



 ■ 第36話 死刑執行 2

 その時、不思議なことが起こった。

 鋭く輝く刀身に、くっきりと文字が浮かび上がった。それは、富士明神の秘文だった。
 立ち会いの役人は、びっくり仰天した。だが、役人は、何を思ったのか、矢立てから筆を取り出して、その秘文を書き写した。

 ためらっていた役人も、再び、気合いを入れ、力いっぱい刀を振り下ろした。カチンと音がした瞬間、刀は三つに折れて飛び散った。
 役人は、腰を抜かし、真っ青になって震えた。

 遠くから、この様子を見ていた島の流人たちの間にも、ざわめきが起きた。


 ようやく立ち上がった役人は、島の役人も交えて相談した。そして、小角を死刑にするのは、この際、一応取り止めた方がいいということになった。


 役人たちは、急いで都に帰って、伊豆での小角の様子や、恐ろしかった死刑の日のこと、また、刀に写った富士明神の秘文のことなどを詳しく報告した。



解 説

 富士明神は、浅間神社のことだと推測される。江戸時代の社名は、浅間明神が多かったが、富士権現、富士浅間明神、神仏習合思想から富士浅間大菩薩と称したこともあった。
 浅間神社の祭神は、記紀神話に登場する女神の木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)。

 現在の社名では、浅間神社以外に、迎富士浅間神社、浅間愛鷹神社、浅間日月神社、無戸室浅間神社などがある。
 これらの社名は、勧請の由来を示している。愛鷹は富士山を取り巻く霊山信仰、日月は相殿に天照皇大神と月読尊を祭ることによる。無戸室は富士講が盛んになり、胎内に浅間明神を延宝年間に祭ったことによる。


木花開耶姫命


 ■ 第37話 死刑の中止

 その年は、天候が悪く、春になっても雪が降ったり霜が降りたりした。せっかく植えた稲や麦は、ほとんど実らなかった。村人たちは、大変困っていた。自分たちの食べる米はもちろん、税金として納める物もまったくなかった。


 文武天皇は、人々のことを特に心配して頭を痛めていた。  ある夜、天皇は、夢の中で不思議な童子と出会った。

 その童子は、天皇を厳しく問いつめた。 「この国の稲も麦も、今年はよくできないであろう。この国では、聖者を罪に陥れて、その上、死刑にしようとしている。そのために、天の星の動きもよくない。なぜ、そんなことをするのか。」

 天皇は驚いて、「お前は、誰か?」と尋ねた。  童子は、「われは、北斗の星である。」と、答えて消えた。


 誠に後味の悪い夢で、天皇は、いろいろ考えて眠れなかった。翌朝、天皇は、すぐに役人を呼び、昨夜の夢のことを話した。  すると、役人たちは「それは、きっと伊豆に流した役の小角のことに違いありません。」と応えた。また、役人は、写してきた秘文のことも天皇に報告した。

 天皇は、小角を無罪にして、すぐに都に連れて帰るよう命じた。



解 説

 文武天皇が夢の中で出会った不思議な童子は、「北斗の星」と名乗った。その童子は、星供養の北斗七星、つまり、一切の運勢を司る星宿の帝王=北辰尊星王(妙見大菩薩)自体か、あるいは、その使徒ではないかと思われる。


北斗七星は 星宿の帝王=北辰尊星王(妙見大菩薩)

 冬至の翌日は、立春の日。立春を新年と考えれば、節分は大晦日に当たる。立春の日に、寺では星供養が行われる。星供養は、「星供」「星祭り」ともいう。

 年の分れ目である節分の日に「星供養」をして祈願すると、どのような悪運も氷解して開運の大道を進むことができるといわれている。

 人は、この世に生れる時、生れた年によって定まっていて一生変わらない星=「本命星」のもとに生れる。そして、その生れ年によって、年々に廻ってくる吉凶の星=「当年星」も定まっている。
 天地の間に生を受けた人間の運命は、生まれた時から、年々の星廻りによって、その年の運命を左右される。

 北斗七星は、星供養では、最も重視される星とされていて、「本命星」や「当年星」を供養して、一切の運勢を司る星宿の帝王=北辰尊星王(妙見大菩薩)に除災招福を祈る。



 ■ 第38話 我が家へ

 小角を迎える役人が伊豆大島へ遣わされた。


 島の役人たちは、かねてから小角を慕っていたが、死刑の日の、あの出来事があってからはいっそう丁重に取り扱った。
 小角が、島の役人に「大和へ帰りたい。」というと、役人は驚いたが許した。小角には、都から迎えが来ていることが分っていた。


 大和へ帰ると、早速に天皇から呼び出された。
 天皇は、小角を丁重に扱い、自ら黒い冠を授けた。


 伊豆から小角が帰るという知らせは、役所から小角の家にも伝えられた。葛木おろしの風が吹く寒い真冬だったが、茅原の村人たちは、大いに喜び、松明を燃し、焚き火をして暖をとりながら、役行者小角を迎えた。


吉祥寺のトンド祭り

 小角が我が家に帰って来た時、家の周りにはススキや茅の雑草が生い茂って荒れていた。小角の帰りを待っていた母の白專女(しらとうめ)は、痩せこけて、髪の毛も真っ白になっていた。


 この頃、都では、大変な勢いで疫病が流行っていた。天皇は、非常に心配していたが、小角が帰って来てからは疫病の流行も治まった。
 天皇は、この著しい霊験に驚き、喜んで、茅原の寺で大法界を催して、寺に水田十町歩を寄付した。



解 説

 現在、大峯山で修行する修験道の山伏たちは、額に黒くて丸い兜巾(ときん)を着けている。これは、小角が天皇から授かった黒い冠を現わしたものだといわれている。
 山伏たちは、山中の水を兜巾を裏返し、これに受けて飲む。
 毎年、正月14日に茅原の吉祥寺境内でトンド祭りが行われている。
 茅原の村人たちは、伊豆から帰ってくる小角を、松明を燃し、焚き火をして暖をとりながら迎えた。これが、「茅原のトンド」の始まりだともいわれている。




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