第6章 生駒の鬼取り
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■ 第21話 山城の国 笠置山 ■ |
小角は、大峯の修行から帰って、再び葛城山にこもって修行していたが、かってからの願いで、山城の笠置山で修行することになった。
35歳になった小角は、岩屋にこもって修行をし、また、両部の法華経を一心に書き写していた。
しばらくして、小角は、再び、大峯山に戻って山林修行を続けた。
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解 説 |
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後に、小角は、大峯山上にある行場と同じ名前の行場「西の覗き」「平等岩」「蟻の戸渡り」を、笠置山に設けた。
奈良の東北部に、笠置山がある。低い山で、笠を置いた形から名付けられたという。ここは京都府相楽郡笠置町で、東には伊賀平野、西には奈良盆地があって、この北側に木津川が流れている。
笠置山は、古くから、山そのものが御神体とされて信仰の対象となっていた。その後、弥勒信仰の霊場として、笠置寺が建立された。
奈良時代の661年、東大寺の良弁僧正らが笠置山の高さ15mの巨岩石に、本尊弥勒磨崖仏(みろくまがいぶつ)や、天衣をひるがえして座る虚空蔵磨崖仏(こくぞうまがいぶつ)などの仏像を刻んだ。その後、これを中心に笠置山全体が修験道の行場としても栄えた。
平安末期の末法思想の流行と共に、これらの磨崖仏は厚い信仰を受け、笠置詣でが行われるようになった。建久2年(1191)、藤原貞慶(解脱上人)が興福寺から笠置寺へ移り、笠置山は信仰の山として全盛期を極めた。
今でも、笠置山には胎内くぐりなどの行場が数多く残っている。
笠置山 by 奈良観光
674年の春、小角は、貧しい人や病気の人、悩める人を救いたいと、常に心にかけていた。そして、どうすれば、苦しむ人々を救う事ができるのだろうかと考えていた。
自分が、今日まで生きてこれたのは、偉大な神仏の力と自然の恵みに支えられたお蔭だと、しみじみと思っていた。
護摩(イメージ) |
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修行して霊力も備わってきた小角は、大峯山上ヶ岳頂上の大きな岩(今の湧出岩)の上に、どっしりと座って、一心に「孔雀明王経」と「不動明王経」の呪文を唱え続けた。
弁財天や地蔵菩薩が現れたが、小角は、この世のすさんだ状況には、やさしくて慈悲深い神仏よりも、もっと厳しく力強い神仏が必要だと思って、一心に祈り続けた。
すると、暗闇の中から、真っ赤に燃える火焔を背にして、青黒くてたくましい体つきの蔵王権現が、恐ろしい「降魔の相」をし、鋭い目を光らせながら現れ出た。
小角は、この怒りの神こそ、人々を救うために天から遣わされたのだと思って熱くなった。
小角は、祈りの中で感得した金剛蔵王を、桜の木やシャクナゲの木を切って、その幹に金剛蔵王を彫り上げた。 |
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解 説 |
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吉野山の金峯山寺(きんぷせんじ)の蔵王堂の中に、三体の蔵王権現が祀られている。
蔵王権現は、今では修験道や登山者のための守り神とされている。
蔵王権現像
金峯山寺HP
その頃、吉野や葛城山では、山林に入って修行する「優婆塞」たちが、次第に多くなってきた。これらの優婆塞たちが集まって、大きな徒党ができかかっていた。
だが、小角は、相変わらず一人で苦行をしていた。
当時、旅人が大和から河内に抜けるには、竹内街道、暗峠、あるいは水越峠などを越えなければならなかった。
生駒の暗峠は、木がうっそうと茂って、昼でも暗いさびしい峠だった。しかも、かなり厳しい坂道だったが、河内や浪速に行く近道だったので、旅人は、さかんにこの道を通り抜けて行った。
暗峠の道(奈良県生駒市) |
暗峠の石標 |
ところが、近頃、暗峠に鬼が出てきて旅人を襲い殺すという噂が広まり、暗峠を通る人は少なくなっていた。
宝山寺(奈良県生駒市) |
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小角は、生駒の宝山寺で修行をしていたが、暗峠に鬼が出てみんなが大変困っていると聞いて、早速、鬼を捕まえて懲らしめなければと、暗峠へやってきた。
ところが、不思議なことに、鬼たちはまったく姿を見せなかった。何日経っても、鬼たちは現われなかった。鬼たちは、小角を恐れて逃げ回っていたのだった。
小角は、「孔雀の呪」を唱えながら、鬼がいそうな生駒の山中を探しまわった。
小角が鬼退治の祈願をかけてから21日目の満願の日、鬼たちは、小角には勝てないと降参して出てきた。
この二人の鬼は、ずっと昔から、里の人たちから隠れるようにして生駒山に住んでいた男鬼と女鬼だった。 |
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解 説 |
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この鬼たちは、実は、里の村に住んでいる人たちとは一度もつきあったことがない「山人」(やまびと)だった。山人とは、きこりや炭焼きなど山で働き山に住む人たちのこと。
この頃、生駒や葛城の山中にも、高安城を造る人夫や他の国から逃げてきた人たちがうろつき始めて、山人たちの生活は脅かされていたのだった。
高安城は、生駒山の南、信貴山の西にあった。663年、天智天皇が、唐や新羅の侵攻に対して防衛する城郭の一つとして築いた。672年の壬甲の乱で、吉野軍に攻められ落城し、701年には廃城になったとされている。
小角は、鬼たちを、生駒山の奥の谷にある滝に連れて行き、その身を洗わせて清めさせた。
そして、暗峠の西北500mにある河内の山へ連れて行った。
小角は、鬼たちの臭かった長い髪の毛を切り取った。
これ以来、鬼たちは、小角が修行に出る時、それぞれ小角の前と後を守ったので、前鬼(ぜんき)・後鬼(こうき)と呼ばれるようになった。 |
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前鬼(男鬼) |
後鬼(女鬼)
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解 説 |
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鬼たちが捕らえられたのは、暗峠から脇に入った山中で、奈良県生駒郡鬼取町という地名になっている。ここに、鬼取山鶴林寺が建っている。
また、小角が、鬼たちの髪の毛を切り取った所は、東大阪市東豊浦町髪切(こぎり)とという地名になっている。ここに、慈光寺という有名なお寺がある。
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