第5章 不思議な巨大骸骨
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■ 第17話 大峯にて骸骨に会う 1 ■ |
小角は、生駒の鳴川や葛木の山にこもって、ひたすら修行を続けていた。
ある晴れた日、小角は、千光寺の裏山にある遠見ヶ岳に登った。
昨夜の雨もすっかり止み、いつもより空気が澄んでいて、遠くの山を見渡せた。南の方に、大峯の山々が青くかすんで見えた。
小角は、神々しいばかりの大峰の山に魅せられ、不思議な霊感に打たれて、釘付けになったように立ち尽くした。
小角は、大峰の山こそ、民衆を救う神の聖地であると思った。それに、もう一度、自分を厳しく試してみようと思った。
そして、大峯の山霊を拝むため、大峰の山に登ろうと決心した。
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解 説 |
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大峰山の山上ヶ岳・稲村ヶ岳 (奈良県吉野郡天川村洞川付近 by Yahoo Map)
大峰の山は、538年、第28代=宣化天皇(せんかてんのう)の時代に、天上から大菩薩が降りてきた山と伝えられている。また、釈迦が生まれたインドの須弥山が欠け落ちて空を飛び、落ちた所が、大峯山だともいわれている。
いづれにしても、この時、空から、何万とも知れぬ人々の声が、まるで雷のように聞こえてきて、大峰の山は大地震のように揺れたという。
その翌日、晴れ上がった空に浮かんだ神々しい山をながめた村人たちは、大いに感激して、山に向かって手を合わせた。
これ以来、この山を「大菩薩山」と呼び、その字名を「大峯山」とするようになった。
「大峯」という字の由来は、文字通り、大きな峯で山の周りが数百里もあるからといわれる。また、「大菩薩の峰」を略して、大峯と呼ぶのだともいわれる。
さらに、大峰の山は、金峯山(きんぷせん)ともいわれて、その山系を曼荼羅の世界にたとえ、大日如来の浄土とされている。
この曼荼羅界は、熊野から孔雀ヶ岳の近くにある「両峰分け」(りょうぶわけ)までを胎蔵界、ここから先の吉野までを金剛界として、2つに分けている。
大峰山の山懐にいだかれた天川村洞川に、修験道の根本霊場ともいうべき龍泉寺が、建っている。龍泉寺は、真言宗醍醐派の大本山で、大峰山入峰の拠点となっている。
大峰山は、今でも女人禁制になっているため、女性の行者は[女人大峰] と呼ばれる稲村ヶ岳(標高1726m)へ登る。
真言宗醍醐派大本山=龍泉寺
天川村役場 HP
茅原の家を出た小角は、飛鳥から高取の里を過ぎ、芋峠を越えて、大峯に向かった。そして、吉野川のほとりの比曽の地(現在の大淀町)に、やって来た。
この地の寺で修行をしながら、村人たちに奥山の様子を尋ねたり調べたりしていたが、誰も行ったことのない奥山を知る者はいなかった。
何でも、狼が人を襲うとか、大蛇がいるとかで、村人たちは恐れて近づこうとしなかった。
ある日、小角は、影向(ようごう)の石の上に座って、経を読んでいた。小角が夢うつつのような気持ちで、まどろんでいる時、丸い小山を背にして明神が現われた。
明神は、小角に「これから吉野の山に登って、寺を建てよ。」と、告げた。それは、三輪明神だった。
小角は、いよいよ大峰の山に登るため、吉野から南をめざして歩き始めた。
秋野の川に沿った山人の通る道や、原生林の中をさまよいながら、森や峠を越えて歩き続けた。次第に奥へ奥へと分け入ると、ようやく谷間に一筋の煙が上がるのが見えた。
小角は、まるで夢とばかりに目をこすった。平和な隠里のようなこの土地は、天河の聖地だった。天河は、高い山で囲まれた村で、村人たちは、とても親切に小角をもてなした。
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解 説 |
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小角は、お告げの通り、後に吉野山に金峯山寺(きんぷせんじ)を開いた。
ライブカメラ 金峯山寺蔵王堂の境内 by 金峯山寺HP
紀伊山地の霊場と参詣道 by 吉野観光HP
小角は、ますます険しい原生林や崖や岩を登って、とうとう山上ヶ岳の頂上にたどり着いた。
大峯山の案内板 |
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大峯山の岩場 |
小角は、自分が今まで修行してきた葛城や金剛などのどの山よりも、はるかに高い峯々が、まるで雲の海に騒ぐ波頭のように重なるのを眺めて、自分をここまで引き寄せてくれた大峯の山のもつ霊妙な力に感動していた。
小角は、大きな岩の上に座って、まず邪気を祓い、孔雀明王呪と不動明王呪の呪文を唱え始めた。
「どうか、世の人々をお導きください。災難や病気に苦しむ人々をお助けください。」と、一心不乱に大峯の山に祈った。
「もし、この願いが叶うのなら、どうか、山の神々よ、地の神たちよ、お姿を現してくだされ。」と、願った。
小角が、まだ、全部いい終わらないうちに、天上から大勢の神々や聖衆が続々と降りてきた。八大金剛童子を先頭に、三十六童子も現れた。小角は、大いに感動した。
原生林の倒木
その翌日、小角は、落雷のためか白骨のように枯れ果てた大木が立ち並ぶ南の山の頂上に、一体の不思議な骸骨が横たわっているのを見つけた。
その骸骨は、頭や手足の骨がバラバラにならずに、まるで生きているように、まっすぐに背骨につながっていた。
小角は、初めて見るこの大きな骸骨に驚いた。身の丈が九尺五寸(約3m)もある大きな骸骨だった。
さらに驚いたことに、骸骨は、左手には金剛杵を、また右手には利剣をしっかりと握りしめていた。
小角は、近くに寄って、その金剛杵を取ろうとしたが、まるで石のように堅く握っていて離れない。小角が、力一杯引くと、骸骨は岩に張り付いたように地面と共にぐらぐらと揺れたが、金剛杵も利剣も、その指からは離れなかった。
疲れ果てた小角は、この不思議な骸骨には自分の力がまったく及ばないことを悟った。
小角は、山の神に「どうか、力を貸したまえ。」と、祈った。
すると、空から声が聞こえてきた。
「役小角よ、よく聞け。お前は、この山で生まれ変わること、七度であるぞ。そこにあるのは、お前が生まれ変わった三度目の遺骸である。この山には、お前の前世の遺骸が、さらに二体ある。」
そして、また諭すように、「千手の呪を五返、化呪を三回唱えてみよ。」というと、その声は消えてしまった。
小角は、目をつむり、教えにしたがって呪文を一心に唱えた。
唱え終わると、不思議なことに、骸骨は金剛杵と利剣を小角に授けるように離した。
小角は、骸骨から授けられた利剣を、初めに発見した山の峰に埋めた。
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解 説 |
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この山にある役行者の七つの骸骨は-----
第一生は、身の丈が七尺五寸(2.3m)
第二生は、身の丈が八尺五寸(2.6m)
・・・・・・
第五生は、釈迦岳に・・・ 第六生は、小笹の宿に・・・・・・。
生まれ変わること七度、役行者は「七生」だったといわれる。
釈迦岳の釈迦像 |
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八経ヶ岳(八剣山) |
小角が埋めた山は、後に八剣山と呼ばれ、大峯山系では最も高い。また、法華経八品を納めたので、後には八経ヶ岳とも呼ばれるようになった。
小角は、持ち帰った金剛杵から孔雀明王の像を彫り出して、当麻寺(奈良県葛城市)へ納めたと伝えられている。
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