第3章 死の国・根の国 熊野 BGM is playing now ! |
■ 第10話 いよいよ 熊野へ ■ |
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小角は、念ずれば神通力を発揮できる法身になった。
ある日、小角は、熊野の方を廻ってきたという一人の旅の僧に出会った。
小角は、かねてから熊野という国に行ってみたいと思っていた。そこで、僧にいろいろと尋ねた。
すると、僧は、「熊野という所は怖い。鬼もうろうろしているし、旅人を襲う盗賊もいる。熊野は、真に恐ろしい所で、死の国といわれるのも、もっともなことだ。」といった。
この時から、小角は、なぜか、この恐ろしい死の国、根の国といわれる謎の国「熊野」へ行ってみたいと思い続けた。 |
そして、小角は、遂に覚悟を決めた。
小角は、年の明けた春、熊野をめざして箕面の滝元を出た。
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解 説 |
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熊野周辺は、日本書紀にも登場する自然崇拝の地であった。第59代=宇多天皇(867-931)の、907年の熊野行幸が、最初だといわれる。
熊野三山への参詣が頻繁に行われるようになったのは、1090年の白河上皇(1053〜1129)の熊野行幸以後とされている。白河上皇は、合計9回も熊野行幸を行った。このことがあって、京都の貴族たちが熊野詣をするようになった。その後、後白河上皇も33回の熊野行幸を行っている。
寒さが残り、春は、まだ、ほど遠かった。だが、小角は、せきたてられるように箕面を出て、母のいる茅原(奈良県御所市茅原)に帰り、母に別れを告げて熊野に向かった。
小角は、紀州と和泉の境を流れる罪崎川上手の一ノ瀬の辺りを歩いていた。
すると、血なまぐさい臭いがしてきた。辺りの地面には、多くの血が流れていた。何か恐ろしいことがあったに違いないと、小角は、孔雀の呪文を一心に唱えて、熊野権現に祈った。
「われは、熊野の三所権現に詣でるため、ここまでたどり着いた。この穢れを、どうか清らかにし給え!」
「さあ、血は消えてしまった。過去・現在・未来の仏に、祈りなさい。」と、空から声が聞こえてきた。
小角は、空に向かって「あなたは、どなたですか。」と尋ねた。
「われは、熊野の山にいる家津御子(けつみこ)の神である。」
「これから先も、不浄の地は多いでしょうか。」と、さらに尋ねると
「われは、仏法を守る神である。すべてを清らかにしなさい。氷を割って身を洗い、清い着物を着て祈りなさい。昼も夜も、明けにも暮にも。そうすれば、お前がどこにいても、三所権現が必ず守ってくれる。」と、告げた。
小角は、藤代川に着いた。川を渡ろうとすると、気味の悪い死体が小角の方へ流れてきた。しかし、小角は、この川を、どうしても渡らなければならない。小角は、一心に三所権現に祈ったので、渡ることができた。
この時、一人の旅の僧が通りかかった。「これは、お前をこらしめる死体で、帝釈天の身代わりである。身を清めて、後の世の人のために祈りなさい。」といい残して去っていった。
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解 説 |
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熊野権現(くまのごんげん)は、熊野三山に祀られる神で、熊野神(くまののかみ)、熊野大神(くまののおおかみ)ともいい、神仏習合によって権現と呼ばれるようになった。
熊野三山は、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の三社からなる。熊野神(熊野権現)とは、各神社が祀る神の神霊の総称(または統合された神霊)をいう。
熊野三所権現ともいい、熊野三山に祀られる他の神々も含めて熊野十二所権現ともいう。
権現とは、仏や菩薩が元々の本体で、仏が人々を救うために「権」(仮:かり)に「現」れた神のこととされる。
小角は、紀ノ川を渡って、山を越えて有田川の近くまでやってきた。
すると、一人の女が、道の辻で子どもが生まれそうになって苦しんでいた。その傍で、二人の子どもが心配そうに見守っていた。
「お前たちの母か。お前たちは、どこから来たのか。」と問うと、
「われらは、いつも、この辺りで遊んでいる。お前も迷わず、穢れを祓って去れ。」といった。
小角は、祈りをして立ち去ろうとすると、童子は空に上っていった。神通力をもって仏法の修行者たちを護っている童子で、産婦を守っていたのだった。
小角は、湯浅を流れる川の岸に着いた。
辺りには、牛や馬の死骸が転がっていた。ふと見ると、白髪の老女がその肉を食べていた。小角は、老女に早く立ち去るようにいった。
熊野にたどり着くまでに、幾多の邪気が現れた。そのたびに、小角は、川の水で身を清めて孔雀の呪文を唱え続けた。
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解 説 |
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熊野参詣のルートは、京都より紀伊半島の西側から入る紀伊路と、東側から入る伊勢路があった。
紀伊路では、田辺から中辺路を通る「中辺路」ルートと、田辺から海沿いを通る「大辺路」ルートがあった。
9度も熊野参詣に出かけた白河上皇の時代では、田辺までは、淀川を船で大阪まで下り、大阪からは、ほぼ現在のJR阪和線に沿った熊野街道を通って紀州へ向かった。
本文には、「紀州と和泉の境を流れる罪崎川」や「藤代川に着いた」、「紀ノ川を渡って、山を越えて有田川」、「湯浅を流れる川(広川と思われる)などの記述がある。
これらの記述から、小角の里は奈良県御所市茅原から、十津川街道を南に下って熊野へ参ったと思われる。
熊野へ参拝する人は、まず、川や谷の真水で三世(現代・過去・未来)の苦を洗い清める。
この禊をすることで、清らかな心と身体になれるとされている。
熊野市観光公社
さて、小角が参拝を終えて発心門まで戻ってくると、一人の仙人のような老人に出会った。
「われは、百済の国の美耶山に住んでいる香蔵仙人である。お前は、熊野の山の恐ろしい主がいる難所を知っているか。それは、御山から降りてくる人から生気やご利益を奪い取ってしまう難所だ。難所は、三ヶ所もあるぞよ。」といった。
小角は、どうすればよいか教えてくれるように頼んだ。
仙人は、「顔にビャクダンの香と大豆の香を少しつけておくとよい。鬼たちは、必ず逃げていく。」といい、「難所は、発心門と滝元、そして切目である。」と、教えてくれた。
「なお、梛木の葉で編んだ笠をかぶって行くのがよい。」と、付け加えてた。
香蔵仙人のお蔭で、小角は、熊野の権現に、無事、参拝できた。
熊野那智大社の四重塔と那智の滝
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解 説 |
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熊野神社の「社伝」によると、役行者は、裸行上人・伝教大師・弘法大師・智証大師・叡豪・俊範と共に、滝元執行の「七先徳」として敬われている。これら7人の人たちが、那智山の信仰の元を築いた。
熊野の修験道では、熊野の三所権現に参拝し、那智の滝で「行」をすることが重要な修行となっている。
役行者が就いた「那智の滝元執行職」は、滝元の行事を執り行う上での重い役柄とされている。
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