役行者物語 2(05-09)
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不思議な世界 1

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役行者小角 物語  (えんのぎょうじゃ おづぬ)



 第2章 光を放つ箕面の山   BGM is playing now !
 ■ 第5話 山にとりつかれた小角

 その当時、葛木山一帯は、鹿や猪などの獣が多く棲み、いろいろな薬草も生えていたので、狩り場や採集場になっていた。

 小角は、15・16歳になっていた。髪の毛は汚れて、まるでよもぎの枯れ葉のようになり、その間から鋭い目を覗かせていた。ボロのようになった着物に蕎縄を腰に巻き、手には樫の木の棒を持って、オオカミ少年のように山中を駆け回っていた。

 小角は、けもの道を歩きながら、ブナの木が生い茂る林の間を通り、谷を越え、葛城山の頂上や金剛山、水越峠を越えて、河内の方まで足を伸ばすこともあった。
 小角は、毎日、何かに取り付かれたように、夜中に飛び起きては金剛山をめざし、目をつり上げて駆け上ることもあった。
 また、櫛羅(くじら)の滝、祈りの滝といわれる滝元に出かけては、何回となく滝に打たれたりもした。
 だが、これは、まだ修行というほどのものではなく、遊びのようなものだった。

 村人たちは、ボロを着て村の中を歩き回る小角を見ては「役(え)ではのうて、汚の小僧行者だ。」と、とささやき合っていた。

 小角は、いく日も口をきかない時があったり、何日も帰ってこないこともあったので、母はいつも心配していた。


 母の従兄弟に願行という僧がいて、韓国(からくに)の僧から仏教を教わって四天王寺で修行をしていた。その願行が、久しぶりに茅原の賀茂の家にやって来た。

 小角の日頃の様子を願行に話すと、願行は小角の行く末を心配して出家し、小角に僧侶になるよう熱心に勧めた。だが、小角は、なぜか聞き入れなかった。この時、小角は17歳になっていた。


解 説

 奈良県御所市茅原(ちはら)に、第34代=舒明天皇が創建した本山修験宗茅原山吉祥草寺(きっしょうそうじ)がある。舒明天皇6年の634年、ここで役行者が生まれたとされている。


吉祥草寺行者堂の役行者像

吉祥草寺境内の不動明王(左)


 ■ 第6話 追いつきの森

 生駒の暗峠(くらがりとうげ)や葛城、金剛山の境にある水越峠を越えると、浪速や河内に出られる。


 河内には、朝鮮から新しく渡ってきた人たちが多く住んでいた。


浪速や河内に通じる道

生駒の暗峠の標識

 河内の茨田(まんだ)に、「茨田の長者」と呼ばれる大金持ちが住んでいた。この一家が、峠を越えて茅原の近くの蛇穴(さらぎ)の村に移ってきた。

 長者には、それはそれは年頃になった美しい娘がいた。娘があまりにも美しいので、村の若者は誰一人として嫁に欲しいといい寄る勇気がなかった。娘は、いつもぼんやりと空を眺めてはため息をつくような、やるせない日々を送っていた。

 ところが、金剛山に登る小角に、娘は次第に心をひかれるようになっていった。小角が通りそうな時刻になると、毎日、窓から顔を出し、段々と小角の気を引くようなことばかりするようになった。
 だが、小角は、「邪魔をするな」といわんばかりに、風のように娘のそばを通り抜けて行った。


 新緑のある日のことだった。思いあまった娘は、ほほを赤らめ、小角に手を振って近づくと、いきなり抱きつこうとした。
 突然の出来事に驚いた小角は、持っていた棒で思わず娘を叩いた。すると、娘は、恐い顔をして森の方へ逃げて行った。

 小角が追いかけて行くと、娘は、遂に大蛇に化けて臭い息を吹きかけながら小角に迫ってきた。小角が、やむをえず蛇と戦っていると、鴨山の神が加勢してくれた。それで、大蛇を追い払うことができた。
 それからは、ここを「追いつきの森」というようになった。



 ■ 第7話 野口神社の 汁かけ祭り

 あれから、しばらく経った5月5日の田植えの日。小角に恋をし、思いつめて大蛇になってしまった娘は、小角を見つけては、再び追っかけ始めた。娘は、どうしても離れない。さすがの小角も、田んぼの畦を走って、あちらこちらと逃げ回った。

 ちょうど昼の頃だった。これを見ていた村人は、手に持っていた味噌汁を蛇にかけた。すると、蛇は、びっくりして傍らの井戸の中に入ってしまった。そこで、すかさず井戸の上に蓋をして、大きな石を置いた。

 それから、この土地を蛇穴(さらぎ)と呼ぶようになった。



解 説

 毎年5月5日、娘を供養するため、御所市蛇穴の野口神社では、「御所の汁かけ祭り」が行われている。みそ汁をかける事によって邪気を祓い、色々な厄から逃れられるといわれている。
 古くは参拝者にも味噌汁をかけたそうだが、今は神主さんが一度だけかけるという。


[ 写真提供 ] 野本暉房氏

(Nomoto's Salon)

   また、稲藁で長さ10m以上にもなる大蛇を作って、これを子どもたちが引く「蛇の綱引き」も行われる。勇ましいかけ声と共に、村中を練り歩く。巡行が終わると、藁の蛇は神社の蛇塚に納められる。



 ■ 第8話 孔雀の呪法を 授かる

 その頃、飛鳥の元興寺(今の飛鳥寺)に、慧灌僧上(えかん そうじょう)という偉い坊さんが住んでいた。僧正は、元々、朝鮮を高麗といった頃の人で、後に井上法師とも呼ばれた。

 ある時、ひょっこりと寺に来た汚い小角をひと目見て、僧正は「この子は、只者ではない。」と思った。
 僧正は、小角がいつも葛木の山を歩いていると聞き、大いに感心した。山で暮らすことは、自然から無限の恵みを受けることができるからだ。

 僧正は、「もし、恐ろしい事にであったら、自分の身を守るために、この呪文を唱えなさい。」と、小角に「孔雀の呪法」を教えてやった。

 小角は、孔雀の呪法を唱えながら葛城の山々を歩いたり、滝に打たれたりしていた。
 ある夜、二上山の麓で野宿していると、夢の中に生駒明神が現われ、 「役小角よ。ここにお前に授けたいお経がある。天下は広いが、お前よりほかに伝える者はいない。お前は、生駒山へ登れ。」と告げた。


 翌日、小角は、大和川を渡って生駒山に登った。
 小角が、生駒山の山頂から四方を見渡していると、遥かにかすんで見える北西の山の方から不思議な光が放たれているのが見えた。小角は、引き寄せられるように、その光を放つ山へ向かって行った。
 その山は、箕面(みのう)の山だった。


解 説

 インドでは毒蛇に咬まれて死ぬ人が多いので、人々は毒蛇を恐れて、まるで死神のように思っていた。美しい羽に包まれた孔雀は、毒蛇を平気で食べてしまう。それで、人々は、孔雀を畏れ敬っていた。

 ヒンズー教の影響下で、孔雀は神格化されて「孔雀明王」(仏毋孔雀明王)という女性の神となった。
 インドでは、古代から、「孔雀の呪法」は恐ろしい毒蛇などからまぬがれて身を守るためのまじないだった。

[ 孔雀明王図 ]
東京美術
「目で見る仏像」から転載



 ■ 第9話 小角の箕面修行

 箕面の滝には、一の雄滝、二の瓔珞の滝、三の雌滝という三つの滝がある。

 小角は、雄滝の滝口の岩に座って、一心不乱に孔雀の呪や不動明王経を唱えて、千日修行を続けた。
 この時(655年)、小角は22歳になっていた。


修験道の行者(イメージ)

箕面の滝
 4月17日のある夜のこと。小角は、真に不思議な仏の世界に導かれた。

 滝の上の暗闇の中から金色の光が放たれ、その光の中から36童子が列を作って滝の上に並んだ。小角は、金剛童子に守られて滝の奥へ深く進んで行くと、今までに見たこともないような美しい景色が見えてきた。
 まばゆいばかりの光に輝く宮殿、その傍らに多宝塔が並んでいた。

 まもなく、金剛の門に着いた。
 「われは、人間界から参った役小角という者でござる。」
 徳善大王は「ここは、かしこくも竜樹菩薩さまが住んでおられる浄土である。お前が来るのを待っていたのだ。」という声が聞こえて、門が静かに開いた。

 門の中に一歩踏み入れた途端、小角は、まるで別人になったかのように、心も身体もすっかり清められた。

 小角は、宮殿の中に案内され、そこには大勢の賢者や聖人たちが並んでいた。仏法を守る天竜八部の衆たちも集まっていた。
 中央には、蓮の花の形をした台の上に竜樹菩薩が座わり、傍には弁財天女や徳善大王が並んでいた。

 小角は、静かに竜樹菩薩の前へ進み、膝をついて頭を下げた。すると、徳善大王が「五智の香水」を小角の頭の頂に注ぎ、竜樹菩薩は自らの手で小角に宝珠を授けた。

 こうして、普通の人間だった小角の心身が、今までと違った仏のような心になり、尊い仏の法の身になった。



修験道の行者(イメージ)

解 説

 小角が竜樹菩薩から授かった宝珠が、法華経に出てくる「無価の宝珠」で、後の山伏が着ている「鈴掛衣」の始まりだといわれている。

 竜樹菩薩は、南インドのバラモンの竜族出身で、幼少の頃から深く仏教を学んだ。
 後に、ヒマラヤの雪山で、年を取った一人の比丘(戒を受けた僧)から「万人が救われる」という大乗の経典を授かった。さらに、南インドにある鉄の塔を開いて「両部の経」(大日経と金剛頂経)を授けられたといわれている。
 「むつかしい現象というものは、存在しない。」という「空観の哲学」を広めたので、中観派の元祖とされている。




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